不自由な雨曝し

徒然なるままに、惰文を貪る。

秒針の音

 今日は、100円均一で、時計を購入してきました。

 自室に時計がなかったので、欲しかったのです。100円均一で、300円の時計を買う。安い時計は、秒針の音がするんですかね? 我が家での統計上そうなります。

 正直、この秒針の音が、好きではないのです。理由は簡単で、煩いから。そもそも、でかい音が嫌いです。特に、車のクラクション。イラッとしますね。だから、僕は、クラクションを鳴らしたことがほぼないです。これは、良いのか悪いのか、分かりませんが。クラクションが嫌いなのか、クラクションを傲慢に鳴らす奴が嫌いなのか、定かではありません。確か、道路交通法で、所定の場所以外で、クラクションを鳴らしてはいけないのではなかったでしたっけ? まあ、それは置いといて。

 基本的に、無音が好きなのです。寝る時は勿論、執筆中や読書中など、無音が良いです。テレビやYouTubeを流しながら、読書できないです。テレビはほとんど見ないのですが。

 そんなこんなで、いざ購入してきた時計に電池を入れると、カチカチ鳴る訳なんです。しまった! と、瞬間的に思ったのですが、折角購入したのだから、使うことにします。もしかしたら、無音でないとダメっていうのは、思い込みなのかもしれない。実は、その環境に身を置くと、慣れるのかもしれない。そう、思いました。

 適応力を見せる時です。臨機応変に対応する時です。考え方を変える良いチャンスだと捕らえました。

 秒針が聞こえるという事は、時間を意識するという事に繋がると考えました。カチカチという耳障りな音を不快に感じるのではなく、一秒一秒取り戻す事のできない時間が過ぎていっていると、意識する事が大切です。無理やりそう思う事にしました。そもそも、貧乏性なので、処分するという選択は皆無です。

 300円の時計をPCの隣に置いて、今も時計とキーボードのカチカチという音が響いています。

うーん、なんだろう? この急かされている感は・・・。でも、この感じがきっと、良いのでしょうね? 命の時間が、刻一刻と削られている事を自覚する装置ですね。

 時間もお金も健康も有限である事に気が付くと、日々の生活も何かしら変わるのかもしれません。忘れて、思い出す。忘れて、思い出す。その繰り返しなんでしょうね。

 それにしても、この300円の時計は、しっかり仕事をしています。今も時を刻み続けています。300円の時計も300万円の時計も同じ仕事なのに、この差は凄いですね。人間でも同じ仕事をしていても給料が違うのは、良くある話です。時計程の値段の差異は、人間にもあるんでしょうかね?