不自由な雨曝し

徒然なるままに、惰文を貪る。

薬になれなきゃ毒になれ!

でないと、お前はただの水だ。

西尾維新さんの代表作である「化物語」シリーズからの一節です。

小説を書いてサイトに投稿したり、このブログを発信するようになって、上記のことを良く考えるようになりました。

そもそも、僕は人に良い情報を届けよう!なんて気は、サラサラない訳です。

僕は自己中なので、完全に完璧に自分の為にブログや小説を書いている訳です。

書きたいから、書いています。

つまり、『書く』という行為は、僕が楽しいからやっているので、僕に取っては『薬』という訳です。基本的にブログでは、意図的にポジティブなことを綺麗ごとを書いています。バリクソネガティブな性格をしているので、少しでもポジティブな思考に引っ張る為です。僕にとっての薬プレイです。では、人様にとっては、どうなのでしょうか?

別に薬ではないし、毒にもなっていないのではないでしょうか?

「綺麗ごと過ぎて、反吐が出るぜ!」という方にとっては、ひょっとしたら『毒』なのかもしれません。もしくは、文章が下手過ぎて、目の毒なのかもしれません。

僕は、よくYouTubeを視聴するのですが、良い情報や良い知識を発信しているインフルエンサーの人は、『薬』なのでしょうね。反対に、そうですね、物申す系の人や炎上系のインフルエンサーは、『毒』になるんでしょうかね?怖いもの見たさというのか。刺激が欲しいというか。

すいません。僕は基本的に毒系の人の発信は見ないので、詳しくは分からないので、ただの陳腐な想像です。

まあ、価値観なんて、立場や見方が違えば変わるので、薬でも毒でもどちらでも良いのです。ここでの問題は、どちらにも該当しない、ただの水になるな!と、いうことです。

記憶にも記録にも残らないなら、それはないのと同じだ。と、言う意味にも取れますね。そもそも、そういう意味なのでしょうけれど。

情報を発信するのなら、思い切ってどちらかに舵を切った方が得策ですよ。と、いうことなのでしょう。

まあ、僕は特別、意識的に計算して、舵を切ることはしないと思いますが。そもそも、できない。そんなに器用ではないし、賢くない。

じゃあ、どうするのか?

そうですね。じゃあ、『水』になります。

ただの水(無料の水)が、ダメなんだったら、有料の水になったら良い。

今は、水を有料で買う時代です。僕も実際買っています。日本の水道水は、綺麗でうまいのにもかかわらずです。コンビニや自販機でも買うし、なによりも自宅にウォーターサーバーを置いています。毎月、5000円くらい支払って、水を届けてもらっています。完全に贅沢品です。

有料の水は、〇〇の天然水とかですね。つまり自然の水ですよね。まさにブランドですね。「〇〇から湧き出た水なら問題ない」とか、「間違いない」とかですね。

これは良い水だ!骨身に染み渡る!と、利き水ができる人ってどれくらいいるのでしょう?味だけで、ブランドや発生地が分かるという天才。きっと、いるのでしょうね?僕は出会ったことがないですが。

つまり、ブランド力があれば、水も有料になるということです。

まあ、だからと言って、具体的に何をどうすれば良いのかなんて、さっぱり分かりませんがね。でも、「ただの水じゃなくて、有料の水になるんだ」と、心の片隅にでも置いておけば、何か変わるかもしれません。

様々な情報を得ている時に「あれ?これって、あれにつながるんじゃ?」とか、アンテナを張っていることは、大切なことだと思います。

薬になれなきゃ毒になれ!でないとお前は、ただの水だ!それが嫌なら、せめて有料の水になれ!もしくは、水を欲しがっている人を探せ!

どこかに、砂漠で倒れている人は、いませんか?

その人は、きっと、薬よりも毒よりも、水が欲しいはずです。