不自由な雨曝し

徒然なるままに、惰文を貪る。

お礼返しは、照れくさい

遅ればせながら、本日、初体験をしました。

お恥ずかしい話ですが、なかなか勇気を要しました。

運転中に、車を前に入れてくれたり、対向時に停車してくれて、感謝の意を込めて手を上げます。そして、譲った方が、手を上げ返す。

はい、この手を上げ返すのを初めてやってみました。

「ありがとう!良い人ですね!」と、手を上げて感謝する事はいつもやっていますが、上げ返しをやったことがなかったのです。

今日は、狭い道を通っていて、僕が止まって対向車に通過してもらいました。いつもは、対向車を見ないんです。正確には、対向車の運転手を見ないのです。

手を上げてくれても、上げ返すのが恥ずかしくて、できないです。

手を上げられず、さも当然のように、シレ―と通過されてもイラッとします。

どないやねん!って、感じなんですが。

だから、結果、運転手を見ないという決断に至ったのでしょう。

でも、それもどうなんだろう?というわだかまりは、ずっとあって、デビューに至りました。

「ありがとう!」と、手を上げてくれて、「どういたしまして!」と手を上げ返す。

こんな当たり前のことが、できてなかったんですよね。

このブログを書いていて、気づいたのですが、実際は、感謝されないことが嫌だったのかもしれません。前述した手を上げられず、シレッと通過される人間に会いたくなくて、避けていたのかもしれません。あまり人間を信用していなかったのですかね?自分が不愉快な思いをしたくなかっただけなのかもしれません。

なんだか、「感謝待ち」をしているような気がしていたのかもしれません。

ようは、見返りを求めていたのかもしれません。

僕が道を譲ったのだから、手を上げてお礼をして欲しい。といったことでしょう。

いやはや、ちっせー!ちっせー!

よくよく、考えると、僕が対向車の運転手から目を背け(現実から目を背け)ている時に、「ありがとう!」と、僕に向かって手を上げてくれていた人は、沢山いたのでしょうね。そして、僕はその感謝挙手を無視し続けていたということです。

もしかしたら、そんな僕の態度に不快な思いをした人は、沢山いたはずです。これまでの運転歴を考えると、まさに星の数ほど・・・途方もないですね。

地球が傾いているのは、僕のせいかもしれません。

そんな誰でも分かることが、僕は分かっていなかったです。

僕は、経験ありませんが、現代の社会問題として、「あおい運転」というものが、あります。まさに、低知性の極みだと感じていたのですが、もしかしたら、挙手返しとか、そんな些細なことが、発端になることもあるかもしれません。

どんな小さな悪の芽も、摘み取っていかなければ、なりませんね。

自分も相手も気持ちよく運転できる。セーフティドライブを心掛けたいものです。

これからは、きっちり相手を見て、堂々と手を上げ返したいと思います。

その方が、スマートでカッコ良いです。

その時に、なんて声をかけましょうか?当然、車内なので声は聞こえませんが。唇を読むという能力がある人がいたら、ばれるかもしれませんけどね。

「うむ、くるしゅうない」

「よきにはからえ」

「いいぜ!」

「いやいや、そんなそんな、僕みたいな若輩者に、わざわざ手を上げて頂いて、恐縮です」

・・・やっぱり、「どういたしまして」ですね。