アイデアの源泉は、過去の記憶(経験)。
どうも、一足先にGWに突入した、ふじゆうです。
素直に喜んで良いものか、難しいところです。
ジタバタしても仕方がないので、やるべき事、やりたい事を盛大にやってやろうと目論んでおります。
本当にGWが明けるのか、心配ではありますが。
何事も「アイデアを捻り出す」という作業は、大切だと思います。
たまに、「アイデアが降ってくる」とか、聞きますが怪しいものです。
とは言え、嘘くさいという訳ではなく、表現の問題なのでしょう。
0から1は、生まれない。と、考えています。
生まれたものは、これまでの経験から出たものだと思うからです。
無意識レベルで見聞きしたものが、記憶として残っていたのだと。
なので、「降ってくる」ではなく、「つながる」というのが、正しいのかなと思います。
イメージとしては、連想ゲームです。
そして、厄介な事は、生み出したアイデアが、素晴らしいと思ってしまう事。
パクった訳ではなく、自分が考えついたものですからね。
でも、自分が考えたものなど、きっと世界中で何百万人の人が考え付いているはずです。
人類史がこれほどまで、年月を積み重ねています。
この世に誕生した人類も、まさに星の数。
そんな中、自分が初めて生み出した。
そんな事は、ありえません。
アイデアなんか、既に出尽くしています。
大切な事は、見せ方です。
もしくは、組み合わせ方です。
その事を頭に置きつつ、自分なりの表現を模索したいものです。
人それぞれ、アイデア出しが必要な場面があると思います。
僕の場合は、小説の執筆です。
現在、執筆中の小説は、犬が主人公です。
昔、飼っていたシーズー犬です。
目玉が大きくて、可愛いのです。
そんな犬が奮闘する家族愛をテーマにした作品です。
過去の記憶を引っ張り出して、物語を考えていました。
記憶というのは、自分が経験した事です。
無知の知と言いますか、知らない事は知らないわけですからね。
未経験の知識は、当然ありません。
飼っていた犬が、事故でなくなりました。
その時に、母親が言っていた言葉を思い出しました。
「身代わりになってくれたんだよ」
その一言を思い出して、そこから物語を膨らませました。
当時は、確か小学五年生くらいだったと思います。
覚えていませんが、きっと当時は理解できなかったはずです。
僕が車に引かれそうになって、犬が飛び出し、僕を押し出した。
という訳ではなかったからです。
ですが、今では、なんとなく理解できます。
そんなお話を書いています。
突然、アイデアが降って湧く事はありません。
そんな奇跡を願うよりも、経験値としての記憶(知識)を蓄積させていく事の方が、現実的です。
日々の暮らしから、細部に神経を向けて、暮らしていきたいです。
たった今、手に入れた知識が、いつどこで生きてくるのか分かりませんからね。
では、また。