不自由な雨曝し

徒然なるままに、惰文を貪る。

手に職をつける

「手に職をつける」というと、俗にいう職人が頭に浮かびます。

物を作る作業をする人というイメージです。分かり易いのは、工事現場で働く仕事でしょうか?

大工、鳶、塗装、コーキングなど。僕も一応、ここに入ります。掃除屋です。

もしくは、伝統工芸品などを作る人であったり、工場で機会を使って作る人や料理人もそう呼びますね。様々な「職人」がいます。

それらの人は、手に職をつけた人なのでしょうね。自分の知識と技術で、自分の力で飯を食っていける人々。

しかしながら、「物を作る」だけでは、飯を食っていくことは、できません。

自分の商品や技術を、購入してもらわなければ、お金にはなりません。

何が言いたいかと言うと、作るだけではダメということです。

昨今では、ネットビジネスが盛んで、例えばブロガーやライターなどの文字で商売をしている人も職人なのでしょう。僕が目指している作家もそうなのでしょう。

さて、一流の職人とは、どういった人なのでしょうか?

世界で最も優れた技術を持った職人でしょうか?

世界で最も稼いでいる職人なのでしょうか?

価値観や考え方は、人それぞれでしょうが、僕は後者が優れた職人だと思っています。

自分の商品(技術)を沢山の人が喜び求め、その対価としてお金を頂く。

前者の職人は、ただの自己満足ですね。趣味なら、問題ないでしょうが。

そして、例え前者の人でも、余程優れていたら、「この人の商品(技術)は、金になる」と鼻の利くブローカーなどが、放っておきはしないと思います。

まあ、もちろん、人間関係やコスパなど様々な要因は、あると思いますが。

資本主義社会において、その人の価値はやはり悲しいけど、お金になってしまうのでしょう。「頑張って作った」とか「心を込めて作った」は、あまり対価に反映されないでしょうね。結果が全てですね。

だから、「残業をした」とか「休日出勤をした」っていうのは、評価につながらないのかもしれません。まあ、そこの部分を評価して、頑張ったと言っている人を知っていますが。同じ業界の営業さんなのですが。

上記した通り、残業をやたらと評価しています。すると、その人の下で働いている職人がどうなったかというと、定時内はダラダラして、わざと残業をするようになりました。そして、疲れた顔で事務所に帰り、残業代を請求するといった具合です。生産性が落ちて、無駄な出費だけが、かさんでいったそうです。

脱線してしまいましたが、ここら辺のことは、また別の機会にでも書きます。

僕も掃除屋として、手に職をつけています。僕は、雇われですが、正直明日会社が倒産したとしても食っていくことができます。ある程度のコネや人脈はありますからね。なによりも、慢性的な人手不足ですから、引く手あまたでしょう。

では、なぜ独立しないのか。雇われている方が、楽だからです。

優秀で部下想いの社長の下でなら、雇われの方が気楽だからです。

ある意味、思考停止できるからです。特に考えながら、仕事はしません。

だからこそ、自分がやりたいことに時間と思考を回せます。僕の場合は、小説の執筆です。仕事中にアイデアが出ることが、9割くらいです。

僕が欲しいのは、安定です。安定とは、「いつでも自分の力で、お金を生み出せる能力を身に着ける」ということです。

だから、もし、小説で収入を得られる事ができて、執筆職人になることができたら、小説執筆と清掃業の二本柱で、独立したいと考えています。そして、徐々に清掃を減らしていく。という、プランを考えています。

僕は、極度のビビりなので、石橋を叩きまくって、歩いていきたいのです。

保険をかけまくっていきていきたいのです。

その手順が、僕の性格には、合っていると思っています。

手に職をつけたら、どうやって自分を売り込むか、もしくは、どうやって自分を売り込んでくれるパートナーを見つけるか、が大切なんだと思います。

僕が求める世界は、一瞬で気楽に気軽に手に入るような安っぽい世界ではないのでしょうから、コツコツ辛抱強く、頑張っていきたいです。